雪景色
東京に雪が降った。
雪が降るといつも思い出す
風景がある。
以前私は、
あるアパートメントの2階に住んでいて、
隣は木造2階建ての民家だった。
ある日飼っている猫が子供を産んだらしく、
おとなりの1階の屋根に、
数匹の子猫が遊ぶようになった。
すこしおおきくなった子猫たちはやがて、
目の前の私の部屋の窓めがけて飛び込んでくるようになった。
可愛い訪問者たちが、私はとてもうれしかった。
やがて子猫たちがおとなになったころ、
お隣は取り壊されアスファルトの駐車場になった。
そのうちの2匹が、
こんどはベランダにやって来るようになった。
「みけ」と「ちび」という
どうしようもない名前を与え
彼らのためにキャットフードを常備するようになった。
彼らはのらとしてがんばって生きていた。
「ちび」はよくけんかをした。
でも、毎日のようにベランダにやってきては
餌をねだるのだった。
寒い日、2匹が重なるように身を寄せ合って眠っているのを見ると、
段ボールにタオルを敷いてベランダに置いた。
そんな関係が6年ほど続いたのだ。
「みけ」が来なくなった。
いつも鼻をぐすぐす鳴らして
ちょっと弱そうな猫だった。
「ちび」に「みけを呼んでおいで」と言っても、
寂しげになくだけだった。
以前はすぐに呼んできたのに。
きっと死んでしまったのだと思った。
それから2年程たって、
私は引っ越すことになった。
がらんとした部屋の掃除をしていると、
「ちび」が何度も様子を見にやって来た。
私はこの部屋の新しい住人が
どうか猫好きであるように、と願った。
引っ越した先は近所だったので、
私は時々様子を見に来ては、
こっそり「ちび」と呼んでみた。
「ちび」は元気だった。
でもやがて、その姿を見なくなった。
その頃となりの駐車場には、あまり車が置かれていなかった。
雪が積もると、一面まっしろでふわふわの
スペースができ上がる。
晴れた翌朝、部屋の窓から見下ろしてみると
そこを点々とななめに横切るちいさな足跡がある。
たどった先には、まぶしそうに目を細めた
「みけ」と「ちび」がいる。
声をかけると、見上げた彼らの顔は
楽しそうに笑っているように見えたものだ。
東京に、久しぶりに雪が積もった。
屋上にあがれば、そこにはしみひとつ無い
まっしろでふわふわのスペースを見ることが出来るだろう。
でもそこにあの小さな足跡がつくことはないのだ。
ぜったいに。
普通
先日、10代の人たちが10人くらいで
討論する番組を見ていたときのこと。
彼らの多くが、普通でないことを理由に
いじめにあい、学校へいくのをやめたり
引きこもったり、自殺未遂したり、
リストカットしたり、という経験をしたと
話していました。
おや?と思いました。
かたや、ネットをうろついていると、
実に多くの若い人が、自分は変わってるって、
普通じゃないって人から言われるんです、って
自慢気に書いているんです。
とても不思議な感じがします。
引きこもるひとは、自分が変わっていることを
悪だと思っていて、
自分が変わっていることを自慢する人は、
それをあきらかに個性的と解釈しています。
環境や程度の違い、認識の違いで
人生かわってしまうよなあ、
とつくづく思いました。
私は年をとるにつれて、出来るだけ
いつも普通でいたい、と思うようになりました。
これは人から見てどうかということに関係なく、
どんなときも普通の私でいたい、と言うことです。
それが他人の目にどのように写ろうと、です。
なぜならそれが一番楽だということに
気付いたからです。
そうです、楽して生きていたいのです。
これ、一番のしあわせです。
おかげで「良くも悪くもいつも変わらない人」
と言われるようになりました。
ちょっと引っ掛かるけど、まあまあ良いでしょう。
でも、どうすれば楽でいられるか、を知るために
楽でないことを山ほどやってきた気がします。
ネットの中で知ったたくさんのしんどい若者、
精神科に通って薬漬けになっていたり、
自傷行為でぼろぼろになっていたり、
いろんなものに中毒して
狭い世界にはまりこんで苦しんでいる人たちが、
自分として楽で普通なありかたが見つかればいいなあ、
と思う今日この頃です。
そうすればきっと、ひとりひとりの
個性が自由に花開くからです。
でなきゃもったいないもんね。
ちなみに私は子供の頃
「おまえは変わっとる!」と
おやじにどやされていました。
気に入らなかったみたいです。
怒れる神々の写真
ある夜、母が青い顔をして
とんでもないものを見た、と
話し始めました。
当時、母は化粧品店を営んでいました。
そこでよくある写真現像の仲介もしていました。
ある日、ご近所のIさんがフィルムを持って来ました。
もしかしたら何も写っていないかも知れない、と言いながら。
数日後、写真を取りに来たIさんは、
母に一緒に見て欲しいと頼みました。
さてそこに写っていたものは、
母には信じられないものばかりだったのです。
背景は写っているのに、中が真っ暗な祠。
祠の後ろから覗いている弁財天のような衣装の女性。
神殿の屋根の辺りで怒り狂う竜神。
飾りのついた馬に乗った神人のような男。
それはもうばかばかしいほど非現実的な写真、写真。
びっくりした母、Iさんはなるほどと納得。
その日Iさんは不思議な夢を見ました。
氏神さまの境内で写真を撮りまくっている夢。
早朝目覚めたIさんは、これは何かあると思い
カメラをつかんで氏神さまにすっとんで行きました。
鳥居を一歩入ったところで、突然金縛りに。
全く身動きが出来なくなったと言います。
ところが自分の意志とは関係なく、足が歩きます。
この神社には祠がいっぱいあります。
そのひとつひとつの前まで連れていかれます。
そして、レンズキャップがついたままのカメラの
シャッターが勝手に下り、フイルムが勝手に巻かれていきます。
もちろん彼女は触ってもいない。
フイルムを使いきったところで金縛りが解け、
彼女は解放されました。その足で母の店へ。
当然何も写っているはずはなかったのですが。
Iさんは写真をもってもう一度神社に行きました。
神主さんに見せるためです。
最近来たばかりの若い神主さんは、ああなるほどと
すっかり納得した様子。
ここに長い間いた前の神主さんは、どうやら
ちゃんと仕事をしていなかったようなのです。
毎朝祝詞をあげるとき、目を閉じると
怒り狂う竜神が現れて、恐ろしくてしょうがない、
なぜこんなに荒れているのか、と悩んでいたそうです。
写真を見てその理由がわかったと言います。
ここにあったお堀を埋めてしまってはいけなかったのに、
ああこの祠には御霊が入っていない、などなど。
この人は大変な所に赴任してきた訳です。
母も氏子のひとりです。
これは大変だと思った彼女は、怒りを静めてもらおうと
翌朝からお百度まいりを始めました。
数十日たったころから、パンを持っていくようになりました。
なんでも、ものすごい数の鳩がやってきて
歩けないくらいだと言うのです、で、パンをやるのだと。
毎日毎日そんなことを言うので、ある日私は
母より少しだけ早く神社に行ってみました。
ところが、鳩なんて影も形もありません。
母はそんなはずはない、と言います。
今日なんて、何処からともなく真っ白な
仔犬が現れて、ずーっとついてきた。
で、神社に入る直前にふっといなくなった。
あんたには(私のこと)信仰心のかけらもないから
鳩が見えないんだ、とまで言います。
今では、その神社から遠く離れたところに
住んでいるので、それからどうなったのか
知る由もないのですが、きっとあの神主さんが
ちゃんと静めてくれたことでしょう、
怒れる神々を。
誰かさんの言葉じゃないけど
日本は神の国、なんでしょうかね。
いつか訪ねてみようと思います。
私も氏子のひとりだったのですから。
★大木 理紗