ボブ・ディランの言葉
もうずいぶんと昔、TVでアメリカのインタビュアーが
ボブ・ディランにこんな質問をしたのを見ました。
「あなたはどうして、いまだに田舎をまわって
コンサートをしているのですか?」
十分にお金持ちで、とんでもなく有名な彼が
田舎町を回る理由などないだろう、と
言いたげで、いかにもな質問。
答えはこうでした。実に淡々と。
「なんでそんなことを訊くんだ?
井戸掘りは井戸を掘る。何故ならそれが彼の仕事だからだ。
私は歌を歌う。何故ならそれが私の仕事だからだ。」
なんと簡潔な言葉でしょう。
私はぽかーんとしてしまいました。
目から鱗が落ちる、と言うのはこのことでしょうか。
その頃、まだ若かった私は自分のやっていること全てに、
意味や理由を見つけようとしてもがいていました。
なぜ私はこんなことを、とかなんのために、とか
揚げ句に、一体私は何をやっているんだろう、とか。
自分でしかけた罠に、見事に自分ではまっていた訳です。
要するに考えたかっただけだったのですが、
やがて答えが見つからなくて疲れてくると、
運命だ、神が導いたのだ、と思ってみたりする。
人は若いときにはよく「自分は特別だ」と思いたがる。
私は人とは違うんだと思いたくなります。
職業に貴賎はない、と知識としての言葉では知っていても、
どこかで、自分が選んだ職業には特別の私だけの意味がある、
てなことを思いたがっていたのです。
そんなときに聞いた、この見事な言葉。
急に心が晴れ晴れとし、身体が軽くなり、
ははははと意味もなく笑ってしまったのです。
何かを考えすぎると「今、ここ、わたし」「Now I'm here」
からどんどん遠ざかっていきます。
そうするとどんどんつらく、しんどくなってきます。
自分がばらばらになるような感じになります。
現実感がどんどん薄れていきます。
やがて出口の無い迷路にはまりこんだことにさえ、
気がつかなくなるのです。
そして、風と共に去り行く音を発しているだけの自分を、
とても空しく感じるようになる。もちろんこの空しさを
いけないものだと思い込んでいます。だから、この空しさを
埋める保証のように、他人による承認を手に入れなくては、と
感じ始める。あれこれ言い訳を用意し始める。
そして次第に自分を嫌いになっていく。
あーいやだいやだ。
癖というのは、なかなかなおらないものです。
今でも時々、罠にはまった自分に気づいたときは、
あの時のボブ・ディランの飄々とした様子を思い出し、
ははははと笑ってみます。
そして「今」の私に座標を戻すのです。
偉い人ってやっぱ偉いなあ。
★大木 理紗