私は特定の宗教を持ちませんが
それでもなんとなく神様を信じています。
多くの日本人はたぶんそうだと思います。
あちこちに神社はあるし、七福神はけっこう
ポピュラーだし、子供の頃1度や2度は
「そんなことしたらバチが当たるよ」
といって怒られたこと、あるでしょう。
確か25歳頃だと思うのですが
ある夜、家に向かって運転していました。
信号で止まったときにいきなり、
胸にどんっと衝撃が来て、
「あ、神様はここ(胸の中)にいる」と思ったのです。
前後に何の脈絡もなく、非常に唐突だったもんで
びっくりするやら不思議やら。
でもその時とてもすがすがしいような気持ちに
なったのを覚えています。そしてうれしい気持ち。
なあんだ、そうか、みんなそうだったのか、
と妙に納得したような気になってうちへ帰りました。
つぎの日、また唐突に
「あれ?自我ってほんとは無いんだ」と
思いました。すべての人の胸の中に神様がいて
それがみんな同じ神様なら、私たちはみんな
親戚みたいなバージョン違いということになる。
ということは、私が自分だと思っている
この自分は、本当にくっきり私なのか?
私は哲学者でも宗教家でも無いし、
一体どういうことか良く解らない。
もちろん自我が無いなんてことはないんでしょう。
でも、どうやら私は私のようでいて私で無い。
でも、はっきり私は私であるという自覚がある。
やっぱり良く解らない。
あれから、ずいぶんな年月が流れました。
ややこしい問題はほったらかしのまま、相変わらず
何となく神様に時々摺り寄ったりしながら、
私って私って・・・てなことを
たまーに思い出しながら、年をとりました。
近頃は「神との対話」という本も出たりして、
あの時の私の体験はそう珍しいことでもなさそうで、
神様についての情報もずいぶんと増えました。
私の私に対する認識も少しずつ変わってきたかも知れません。
生命は遺伝子の乗り物にすぎない、と言われれば
まったくそうだという気もする。
ではその遺伝子と私が感じている神様との関係は?
私が私だと感じているのは、私の中の神様か遺伝子か
それとも乗り物の方か?
時々、私が私の輪郭からはみ出そうな感じが
することもあります。そして、昔よりももっと
神様を信じています。神様がじーっと見ている大きな
流れの中に、ぷわぷわ浮かんで流れている、
困った時はちゃんと助け舟を出してくれるし、
一生懸命生きていると、時々御褒美がもらえる。
私はただ流れを流れてゆけばよい。ゆくしかない。
確か仏教でいう他力本願は、
こんなようなことでしたね。
私はやっぱりはっきりとした個として在る、
でも深ーい根っこの部分で全部つながってる気もする。
誰もがお互いに、100%は絶対に解り合えない
孤独な存在だとも思うし、それはこの大掛かりな
ゲームの基本的なルールかとも思う。
謎を解きたいと思いつつ
謎は謎のままゲームは進行してゆき、
いつか私にもゲームオーバーの日が来る。
でもその時に、謎を解いてはっきりと
答えを教えて下さいね、と
今は神様にお願いしておきましょう。
★大木 理紗