おはぎさんも、無事です。
ここに訪れてくれていた、
コメントをくれた皆さん、
だいじょうぶ?
あなたの大切な命たちは、みんな無事ですか?
twitterで見ててくれた人も居るかも知れませんが
あの日
午前中からのスタジオ仕事を終えて
三軒茶屋の駅で、地下鉄に乗った瞬間でした。
舟みたいにぐらぐら揺れて、びっくりして慌てて地上へ。
叫び声が聞こえて、マクドナルドのガラスが落ちて粉々。
呆然としながらも、とりあえずヒッツビレッジに行く為に
バスに乗りました。
いきなり大阪の弟から電話、つまり安否確認。
ということは尋常じゃない、と感じながら。
渋谷でバイトしてた生徒さんたちが集まってきて、
話しているうちに、少しずつ何があったのか
解ってきました。
とんでもない規模の地震が東北であったこと。
電車は全部止まっていたので、学校は休校。
倒れた花瓶の後片付けなどして、帰宅することにしました。
この時はまだ、家の事もそんなに心配していませんでした。
バス停はすでにあふれるほどの人、
そして道路は大渋滞。
明治通は、初詣の神社のよう。
一緒に歩く人たちの会話で
わたしは帰宅困難者になったんだと知りました。
時々人ごみを避けて裏道に入り、
少し迷子になりながら3時間弱歩いて
ようやくうちに着いた頃には
緊張感と歩き疲れでへとへとでした。
エレベーターは当然止まっていたので
6階まで階段を上がって、そこではじめて
自分の予想がおそろしく甘かった事に
気付きました。
飛び散った土、ひっくり返った植木鉢。
ドキドキしながら鍵を開けると、
床を埋めるもの、割れた何かの破片、
粉々に砕け散ったフレグランスの瓶。
その光景に似つかわしくない、洗練された香り。
玄関入って右の部屋は、
飛び散った本や楽譜、CDなどで、足の踏み場も無く。
まさか、まさか、と思いながら
おはぎ!おはぎ!と叫びながら
左の部屋に入ろうとすると、ドアが開かない。
動いた家具に塞がれています。
ガラスから中をのぞくとやはり、そこも足の踏み場も無く。
おはぎは呼んでも応答も無い、何かが動く気配もない。
もしかして、何かの下敷きに?
焦って押してもドアはびくともしない。
どうにも出来ずに階下の大家さんちに。
ドライバーを借りて、ドアのガラスを外そうとしたり
お孫さん(たぶん男子高校生)が来てくれたり。
どうしても開けられないので、近くにある消防署へ行きました。
事情を説明してきていただく事に。
いろいろやっていただきましたが、どうにも開かない。
いよいよガラスを割るしか無いか、と
思っていたところに、年配の消防士さんが来て
どういう魔法か、見事に開けて下さいました。
猫が中に居る事も話していたので
まず、猫の心配をして下さいました。
名前は?おはぎ?かわいいねえ。。
土足のまま部屋へ入り、名前を呼びながら
探しまわり、ベッドの中で怯えて
かっちかちに固まったおはぎを見つけたとき、
いました!生きてます!と叫んでいました。
消防士さんたちはとても喜んで下さいました。
おはぎがようやくベッドから出てきたのは
その翌日、日が落ちてからでした。
最初に出した声は、きいた事も無い妙ななき声。
にゃあにゃあ言いながら、家中を見て回っていました。
夜中近くになって見たテレビのニュースで
はじめてどんな事が起きていたのか知りました。
翌日は心身の疲労からぐったりしていて、
けっきょく部屋を片付けるのに2日かかりました。
でも、わたしはある程度の予防措置は取っていたので、
ほんとに大変な事にはなっていませんでした。
突っ張り棒や転倒予防の為のあれこれは
ちゃんと役に立っていたようです。
飛び散っていたのは細かいものと、
うっかり何の予防もしていなかった棚が
倒れて中身をまき散らしていたのでした。
わたしは大阪出身ですが、あの震災を
経験していません。
だから、これがはじめての経験です。
一人で居る事がこれほど心細いと思ったのは
はじめてでした。
でも、大家さんとお孫さん、消防士の皆さん、
そしてtwitterで励ましてくれた人たちのあたたかさに
ほんとに救われました。
ときどき一言ツイートするだけでも
なんとなく一人じゃないような
気がしたものです。
とりあえず、怪我もせず、わたしたちは無事です。
そのことと、助けて下さったみなさんに心からの感謝を。
そして、これから長い時間をかけて復興する被災地に、
こちらも長い時間をかけて支援して行きます。